足摺岬に唐人駄馬という場所があることを知り、是非行かなくてはという確信に近い思いを抱き、実際に訪れると想像をはるかに超えるエネルギーに驚きを隠せませんでした。エネルギーだけでなく、そこで行われていただろう古の祭礼(セレモニー)の意味や、当時の人の願いも感じ取りました。
その後、レイライン(直線状に聖地が並んでいること)上に位置しているいくつかの巨石群に足を運んだのですが、やはりそのパワーに圧倒されました。
それらは、古代の祭礼で使われていた単なる廃墟ではなく、今でも実際にエネルギーを集積させて発信しているのです。
六甲山の巨石群を回ったとき、『淡路島にも行ってください』というメッセージを受け取っていました。
だから、当然、次は淡路島へ行くつもりだったのですが、なぜかその前に、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)に行くことになりました。
大神神社は、三輪山そのものを拝む神社なのですが、その三輪山にも古代祭祀を行った磐座(いわくら)があちこちにあります。そういうわけで、大神神社の正面にそびえる三輪山に登る必要があるか心に問うてみましたが、どうやらその必要はなさそうでした。それより、檜原神社(ひばらじんじゃ)の方に引き寄せられる感覚があったので、今回は最古の古道「山の辺の道」を歩いて、檜原神社まで行きました。
至近距離にいると、三輪山の山頂から溢れるエネルギーのボルテックスで頭がくらくらするほどです。
この長閑で美しい山の辺の道を歩くこと20分、突然、檜原神社の境内に入ります。
ここは元伊勢と呼ばれています。
社伝によれば、
この地は、崇神天皇の御代、宮中よりはじめて、天照大御神を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託されてお遷しになり、「磯城神籬(しきひもろぎ)」を立て、お祀りされた「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)」であります。
大御神のご遷幸の後も、その御蹟を尊崇し、檜原神社として、引き続きお祀りし、「元伊勢(もといせ)」と今に伝えられています。
つまり、国内情勢が悪くなったのは、天照大神の御霊を居所(皇居)で祀っていたせいではないかと、時の天皇である崇神天皇が、天照大神の御霊を初めて宮中より出し、皇女の豊鍬入姫命に命じて、三輪山の麓の地で祀らせていた、それがこの場所だそうです。
その後お役目を引き継がれた垂仁天皇皇女の倭姫命が大神を奉斎しながら諸地方を遍歴し、伊勢に行き着くこととなったそうです。(日本書紀による)
それで、元伊勢と呼ばれているのですね。
ここは大神神社と同じ三ツ鳥居だけしかありません。真西に向かって拝むのですが、その方向には伊勢神宮があります。
さて、山の辺の道を歩いてきて、この神社の鳥居の前に立ったとき、この鳥居の向こう(西方)から一直線に東に向かう強いエネルギーの流れを感じました。
それは、ものすごく速くて強い流れの川のようでもあり、大量の光線が一方向に流れているようでした。
同行者たちもこの地のパワーを感じていました。
その後、このエネルギーはどこへ向かっているのか確かめたくて、振り返りました。
ここから見える二上山の山頂を抜けて、さらにその東側へと向かっていました。
その先には何があるのかと後で調べたら、淡路島があったのです。
(地図上の二子山は、二上山のことだと思われます)
ここのサイトには、興味深いことが書いてあるのですが、文章のコピーができないようになっているので、リンクを貼っておきます。
なるほど、淡路島に行く前に、ここに来ていなかったら、このレイラインのパワーをこんなに強く感じることもなかったでしょう。三輪山で増幅されて、あるいは三輪山から発されるパワーなのかもしれませんが、至近距離で感じたからこそ受け取ることができたのかもしれません。
北緯34度32分にずらりと並んでいるのですね。
同じ緯度に並ぶということは、春分と秋分の日に、同緯度上の東側からまっすぐ太陽が昇り、西側に日が沈むように見えるということ。
だからこのレイラインも「太陽の道」と呼ばれているのです。
1月に訪れた室戸岬と足摺岬は夏至と冬至の太陽のレイラインでしたが、
今度は、春分・秋分ラインを見つけました。
なるほど、最もパワーが増す春分の日に、淡路島に行くことになっていたわけです。
しかも、このラインには日本屈指の霊峰・三輪山のパワーをレイライン上に乗せています。
淡路島に行くまえに、偶然、大神神社や桧原神社に行ったのではなく、全ては必然だったというわけです。Bravo!
淡路島は、六甲山から剣山へ連なるレイラインも通っています。これは楽しみですね。
「春分の日に太陽の道レイライン淡路島をめぐる旅」と名づけて、一緒に淡路島に行く方を次の記事で募集します。