今日は朝から雨が降っていましたが、どうしても唐人駄馬に行きたくて、雨の中、車を飛ばして行ってきました!
唐人駄馬は、9月の四万十町でのイベントでも行った場所です。
唐人駄馬の唐人は、異人という意味で、駄馬は開けた広い場所という意味だとか。
この亀石の背後に複雑に重なりそびえる岩は、花崗岩なので御影石のようにピカピカに磨くと太陽の光に輝き、沖からも見えるそうです。そういう意味で、古代の灯台の役割をしたのではないかといわれています。
唐人駄馬の全体像は、この映像を見てもらったら一目瞭然です。
「唐人駄馬遺跡最大のパワースポット 再生のエリア」と言う看板があるところがあるのですが、
私としては、『祭壇石』の方が強いパワーを感じます。
前回、『祭壇石』と呼ばれる場所に近づいた時に、ものすごいパワーを感じて、今回は、それをもう一度確認したかったのです。
雨に濡れながら、あちこち巨石群を周り、最後の方でここに辿り着きましたが、近づくと、突然ものすごいパワーを感じました。やはりここがすごいようです。
頭が上に引っ張られる感じと、身体が温まるのは、前回と同じですが、今回は、頭の中にものすごい早口で話す聞いたことのない言葉が流れ始めました。
haruさんは、エネルギーに敏感で、『うわー、ここはなんだ?すごいエネルギーを感じる』と言い出し、もうひとりの人は、あまり敏感ではない人でしたが、『唇が温かくなってきた』と、それなりに何か感じていた様子。
その早口の言語を聞き取ることはできなかったのですが、目を閉じて意識を合わせてみました。
すると、遥か昔に、この地で暮らしていただろう人々の情景が見えてきました。
白い服を着た若い女性たちが(外見は日本人には見えない)、ここで何かを捧げる儀式をしていました。
かつて、この辺りには一大文明があり、ここはその神殿だったようです。
出産もここで行われていたようです。
人が亡くなると、やはり、ここの別のエリアで、魂が来たところ(彼らが故郷と信じている場所)に返すために儀式を行っていたようです。
彼らは、自分たちはどこかから来て、死ななければ元の場所には戻れないと信じていたようです。
この辺りに住み着き、独自の文明を築き上げた人たち。
巨石を組み上げたり、スパッと鋭角に刃物跡を残さずに巨石を削ったりする高度な技術を見ると、宇宙から来た民だったか、或いは宇宙人とコンタクトを取れる技術を持っていたのかもしれないと思うのです。
彼らの平和な暮らしの情景がぼんやりと見え始めてきた時、彼らのコミュニティに近づく悪意を持った人間たちの姿が見えてきました。
獣の皮をまとい、髪を振り乱し、手には粗野な武器を持った男たちが、森の陰から、その集落の様子を伺っていました。
豊かな村を襲い、盗みや強奪、時には子供をさらおうとしている人間たちの姿は、彼らの目には鬼の姿に見えたのです。
鬼とは、人間に災いする妖怪のことではなく、残虐で暴力的で破壊的な心のままに生きる人間の姿だったのだと思いました。
かつて足摺の地に花開いた高度な文明社会がどうして消えたのか、その理由は、なんらかの戦いにあったのでしょう。
今も相変わらず、人間たちは弱肉強食の世界を引きずり、世界のどこかでは戦争が起き、一見平和な社会でも、受験戦争、就職戦線、出世争いなどなど、戦いと言う文字はどこにでも見られ、それが当たり前の世の中です。
もう2度と文明の終焉を迎えることのないように、今度こそ争いのない平和な世界にして行きたいと祭壇石の前で願った私です。
その後、龍宮神社に行きたかったのですが、少しフラフラになったのと、雨で濡れると危険な場所なので、次回に行くことにしました。
なにせ、こういう場所にあるのです。よーく見ると階段が見えるでしょう?
山からこれをひたすら降りてきて、
この道を岬の突端まで行かないと着けないのです。
辺りには人家など全くない秘境です。
こういう場所に、神社やパワースポットが点在する高知は、本当に面白いです。
私は二十歳くらいの時、なぜか足摺岬のことが気になり出し、行ってみたくなりました。地図で見て、その辺鄙さに諦めたのですが、いつか行きたいとずっと思っていました。
今は、その辺鄙な場所の住人になっているのです(笑)
人生は何が起きるかわからないとこが面白いです。
面白いと思って生きると、本当に面白いことになるものですね。
唐人駄馬でパワーをもらい、夜になってもまだぼーっとしています。
明日は、個人セッションがありますが、他にも何が起きるか楽しみです。
それではおやすみなさい。