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越木岩神社・保久良神社(後編)

前回の記事↓の後編になります。

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越木岩神社に行ったあと、車を自宅に置いて、会下山(えげのやま)遺跡に向かいました。

 

後半の行程は、

 

会下山遺跡→→蛙岩→本庄山山頂→金鳥山→保久良神社→岡本八幡宮

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 拡大地図で見ると六甲山との関係がわかると思います。

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会下山(えげのやま)は、日本で最初に発見された高地性集落の遺跡です。

 

以前、私はこの遺跡について取材したことがあるので、つい語りたくなるのですが、ここはぐっとこらえて、簡単に説明します。

 

高地性集落とは、弥生時代前期末から後期にかけて、周囲を眺望できる山頂や丘陵の尾根上などに形成された集落のことです。

 

弥生時代の集落は、平地に集落の周りに濠をめぐらせて外敵から守った環濠集落が主だったのですが、居住に適さない山地に場所に集落を作った理由は、当時、戦いが繰り広げられていたことが理由ではないかということでした。

 

見つかっているのは、瀬戸内中部から大阪にかけてだけのようですから、大和政権が国内平定をしていく過程で戦いが激化していたことが、こういう遺跡からも伝わってきます。

 

そういえば、熊襲平定に筑紫に赴き、仲哀天皇亡き後、のちの応神天皇を産み、幼い皇子を連れて都に凱旋しようとした神功皇后軍を、仲哀天皇の先の皇子・忍熊皇子(おくしまのみこ)たちが迎撃しようとしたのも、明石以東の近畿でした。

あれは、皇位争いですが、筑紫で亡くなった仲哀天皇と神功皇后も熊襲征伐をしていたくらいですから、まだまだその頃の日本は、常に戦いがどこかで起きていたのでしょう。

 

政情不安な古代の暮らしを想像しながら、会下山遺跡に登りました。

標高185mですが、一気に登るので運動不足だと息があがります。

 

麓の平地に水田を作り、居住するのはこの山の上。

ここに住んでいた彼らは毎日、この道を登ったり降りたりしていたのでしょうか。

 

中腹まで上ると、急に視界が開けて、集落跡が目の前に現れます。

高床式倉庫が復元してあります。

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ここをさらに登ると、山頂に出ます(標高201.2m)

山頂の中心に椿の大木があり、まだ花がいっぱい残っていました。

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私はこの椿の木の下で何度か瞑想をしたことがあります。

今回は、この土地を守る精霊たちと会話しました。

 

 

 

 眺望がよく、西から東まで、陸も海も見渡せます。

ここに見張りを立て、敵が近づいたら、狼煙をあげて、近隣に知らせていたのでしょう。

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同時に、山頂は祭祀場でもありました。

見張り台や狼煙台として使われる以前は、古代祭祀の神聖な場所としてのみ利用されていたことでしょう。

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少し休憩した後、さらに奥へ進みます。

私は、これより先には行ったことがないので、ちょっとワクワク、興味津々でした。

 

 

ここから先は、緩やかに登っていくのですが、ちょうど、コバノミツバツツジが満開で、山道に沿って美しい花で彩ってくれていました

コバノミツバツツジは、芦屋市の市花でもあります。4月に六甲山に入ると、群生しているコバノミツバツツジがあちこちに見られます。

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その美しさに目を奪われながら歩いていると、突然、巨石が現れました。

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蛙岩です。

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名前は聞いたことがありましたが、どこにあるかは知りませんでした。

確かに蛙が座っている姿にそっくりです。

 

この道は、魚屋道(ととやみち)といいます。

 灘の浜に上がった新鮮な魚を有馬温泉に運ぶための山道が江戸初期の頃からあったそうです。

背中に魚を背負い、きつい山道を登り、有馬温泉まで毎日魚が運ばれたようです。

 

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さらに北に進んでいくと、いよいよ分岐点となり、こんどは左(西)に進みます。

そして、また分岐点があり、こんどは南に進みます。

歩いていると、三角点があったので、これが金鳥山の山頂かと思ったのですが、

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よく見ると、手書きで「本庄山」と書かれていました。

本庄山(ほんじょうやま)は標高424.5m。

いつのまにかこんなに上がっていました。

 

 

金鳥山は標高338mのはずだから、もう少し南側に下りたところだと思い、もう少し進んでみることにしました。

 

でも、いくら探しても、それらしきところがありません。

 

きっと山頂はこの道(ハイキングコース)沿いにはないのではないかと思い、直感に従って探すことにしました。

 

どうやら道から右(西側)にある気がして分け入ってみましたが、見つけることができませんでした。

 

後で調べると、ほとんどの方が金鳥山の山頂を本庄山と間違えていたり、展望台を山頂と勘違いしていたり、結局どこかわからななかったという方が多いことがわかりました。

 

あるブログにこんな地図がありました。

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http://www.fuji55.sakura.ne.jp/yama/04teizan/02ka_menu/kintyosan/kintyosan.html

やはり、金鳥山は、ハイキングコースより西側に入り込んだところにあったようです。でも、西側にいけるような道を見つけることができませんでした。

 

上の地図のブログ主さんによると、金鳥山のピークはハイキングコースより30mほど西に入ったところにあるそうです。この方も、最初は金鳥山の山頂がわからず、次に挑戦したときは、GPSを頼りに山頂にようやくたどり着けたらしいです。

 

その方が山頂と思われる場所で撮った写真。

金鳥山のピークは八幡谷からのルートへ30メートルほど
入ったところに点在する大きな岩のところです

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http://www.fuji55.sakura.ne.jp/yama/04teizan/02ka_menu/kintyosan/kintyosan.html#top

金鳥山山頂は、大きな岩が点在していたそうです。もしかしたら、ここでも古代には祭祀が行われていたのでしょうか。次回は私も是非いってみたいと思います。

 

金鳥山山頂はわからなかったので、保久良神社を目指すことにしました。

 

これは金鳥山の展望台です。

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それからは、階段を下りていくのですが、段差が大きすぎて、歩きにくかったです。

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そして、ようやく保久良神社が近づいてきました。

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保久良神社前にある、「灘の一つ火」とそこから見える神戸の海。

海からもこの灯りが見えるそうです。古代から灯台の代わりになっていたそうです。

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 保久良神社の入り口。

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枝垂桜がまだ美しく咲いていました。

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趣のある美しい拝殿

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境内にある「磐座」古代祭祀遺跡地の説明

 

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この岩は「立岩(たていわ)」といわれ、神様に祈るために人々が立て起こした祈願岩の一つです。

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社務所の裏の大きな岩は「神生岩(かみなりいわ)」と呼ばれております。

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神社の裏の岩群を中心に境内にかけ、大きな円形状に大岩が配置されております。このように配置された岩群は、「磐座(いわくら)」と呼ばれ「磐境(いわさか)」ともいわれます。

昔の人は、大きな岩に常世の国より神様をお招きして、農業生産、諸業繁栄、村里安全を祈願いたしました。

 

また、ほくらの「磐座」は昔大和の国、現奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の背後の三輪山頂にある[磐座」と同じ時期のものといわれております。

 

カタカムナ古代文字を守り続けてきたといわれているのがこの保久良神社だといわれていますが、保久良神社がそれを認めているわけではないようです。

 

カタカムナについて書かれている記事を抜粋して転載します。

カタカムナとは、上古代の約1万2000年以上も前に、日本で栄えた高度な文明の名であるとされている。何故、縄文以前かというと、「カタカムナ文字」又は「カタカムナ文明」が存在したという痕跡は、縄文時代以降の遺跡や記録には全く見つかっていないからである。又、世界の古代文明でも、この様に、幾何学文字を渦巻き状に描き出すという類似文字は発見されていない。

 「カタカムナ」という神の名がこの世に甦ったのは、1949年(昭和24年)にカタカムナ文献の発見者であり、カタカムナ文字の解読者である楢崎 皐月(ならざき こうげつ)氏が、兵庫県六甲山系金鳥山付近で、大地の電位測定の為の調査を行っていたところ、「平 十字(ひら とうじ)」と名乗る猟師風の男性に出会ったことから始まる。

楢崎氏を気に入った平氏が、彼の祖先から、大切に受け継いできたという「カタカムナ神社」の御神体の巻物を楢崎氏に見せた。

カタカムナ ウタヒ 第5首
これが、「カタカムナ ウタヒ 80首」で、それらは上記の図のように、渦巻き状に綴られた幾何学的な文字であった。
平氏によると、「この御神体は、目にしただけでも、目がつぶれる」と言い伝えられてきたそうである。楢崎氏は、これを見た瞬間、彼が満州滞在時代に、老子教の「蘆有三(ロウサン)」という道士から聞かされていた、上古代に日本に存在したという「アシア族」の八鏡文字(ハッキョウモジ)ではないかと直感した。

そして平氏にその巻物の書写を願い出たのだ。平氏はそれを許可し、それから彼は、金鳥山の楢崎氏が居住する穴倉に御神体を毎日持参し、書写を見守ったという。この時、写し取られたモノが、「カタカムナ文献」として残されている。
その後、楢崎氏は、長年の研究を重ね、古事記その他の古文献を参考にし、カタカムナ文字の解読に成功した。

 

思念表の発見 / カタカムナ研究家・吉野信子 オフィシャルサイト

 

楢崎皐月さんという方も、なかなかすごい方のようで、ここでは詳しく書きませんが、戦後の日本の食糧危機を改善するために、ケガレチ(気が枯れた場所)をイヤシロチ(生命力が盛んになる地)に変える研究のために、金鳥山を調べていたそうです。その時に知り合ったのが、平十字(ひらとうじ)さんで、古い神社の神官の子孫だと名乗ったそうです。 

 

ある本によると、このとき、楢崎氏は、平十字さんが、カタカムナを声に出して唱えるのをきいたそうですが、「室内であれば窓ガラスが割れていただろう」というくらいのすごい響きだったそうです。

 

カタカムナについて私も少しだけ調べてみましたが、カタカムナは文字ではありますが、声の「響き」が大事な言葉だったのではないかと思す。古代の人々は、その響きで巨大な岩も動かしていたのかもしれません。

 

いずれにせよ、楢崎皐月さんが興味を示して調べていた金鳥山、カタカムナの古代文字が守られてきた神社といわれている保久良神社、そこに残る磐座群。なんとも興味深い場所でした。

 

保久良神社の脇にある公園を横切り、ハイキングコースのような山道を下りていくと、岡本八幡宮がありました。

 

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厳かな雰囲気の美しい神社でした。

創建がいつかは不明とのこと。

ご祭神は応神天皇、神功皇后。

 

気がつくと、この日は越木岩神社、保久良神社、岡本八幡宮と三社参りになっていました。

 

岡本八幡宮からは、阪急岡本駅は近いです。

 

阪急岡本駅すぐそばにあるチョコレートショップ・モンロワール岡本本店に立ち寄りました。リーフチョコが有名ですね。

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がんばって山を歩いた自分へのごほうびと、家族のおみやげにラヴィアンショコラを買いました。直径約30cmの円盤状のチョコレートのかけらが入っています。

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古代、山の上で祭祀を行い平和と豊かさを祈った通り、金鳥山の麓に広がる岡本の町は、今では豊かで若者がたくさん集まる平和でおしゃれな町となっています。

古代人たちの祈りのおかげかも知れません。

同じ思いを後世のために祈り続けたいと思いました。

 

長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。