ソフィアです😃
明日の春分のイベントでは、和歌山の友ヶ島を訪れます。
友ヶ島は、和歌山県の加太(かだ)港から船で20分ほどの場所に浮かぶ無人島。
4つの島(沖ノ島・虎島・地ノ島・神島)から成り立ち、自然の美しさとともに、長い歴史と深い信仰を今に伝える神秘の地です。

この島には、ほかの土地とは異なる「特別な空気」が流れています。
友ヶ島の歴史は、明治時代に築かれた有名な砲台跡や軍事要塞だけではありません。
その起源をさらに遡ると、飛鳥時代(7世紀)の修験道に行き着きます。
修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)——通称「役行者」は、大峰山や葛城山など、日本各地の霊山で修行を重ねた修験者です。
役行者は山岳修行を通じて自然と調和し、超自然的な力を得たとされ、日本の山岳信仰の礎を築きました。
伝承によると、役行者はある時、友ヶ島を訪れ、神の啓示を受けたと言われています。
友ヶ島に立つと、島全体に宿る「龍神」のエネルギーを感じ取り、大地と海の力を統合するために、島内で修行を行ったそうです。
また、友ヶ島には役行者が龍神を祀ったとされる祠(ほこら)や、修行の跡とされる岩が残っている場所もあります。
龍神信仰や自然崇拝は今もこの地に根付いており、友ヶ島全体が「結界の島」として古来より守られてきました。
「陰」と「陽」のバランスを整える力があるこの地で、修験道の教えと自然の力が融合している——
友ヶ島が持つ神聖な空気の理由が、そこにあるのかもしれません。
また友ヶ島は、江戸時代からすでに軍事的な要所とされていました。
1863年(文久3年)、江戸幕府が異国船からの防衛策として砲台を築き、明治時代には日本陸軍が大阪湾を守るために友ヶ島を軍事拠点としました。
特に日清戦争(1894年〜1895年)や日露戦争(1904年〜1905年)の時期には、友ヶ島は大阪湾の「守りの要」として重要な役割を担っていました。
現在も残る第3砲台跡や弾薬庫跡は、その名残です。
苔むしたレンガの壁は、時を超えた“記憶”が今もそこに息づいていることを感じます。

自然と歴史が交錯するこの島には、「時」を超えた静けさが広がっています。
その静寂の中に、役行者が残した祈りと、時代を超えて受け継がれてきたエネルギーが、今も流れているような気がします。
友ヶ島が持つ歴史の重みと並んで、この地に流れるスピリチュアルなエネルギーもまた、特別なものです。
友ヶ島は募集の時の記事でも紹介していますが、東経135度線に位置しています。
このラインは日本の標準時を刻む「時の起点」。
特に春分の日は、昼と夜の長さが等しくなり、陰と陽のバランスが整う日。
この日に友ヶ島に立つことは、宇宙と大地のエネルギーが交わる“調和の瞬間”に、全てが一つになることなのかもしれませんね。
このような素晴らしい場所、「友ヶ島」で皆様と春分のお祝いができることを楽しみにしています😃
特別なひと時を過ごしましょう!
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