前回の話はこちらをご覧ください↓
ランチが終わって、また出雲大神宮に戻ってきました。
目的は、出雲大神宮の裏にある御神体の山、御影山です。
この山は、境内西側から見ると、綺麗な円錐形に見えます。
2004年・出雲大神宮の御蔭山(Mikage-yama, Kyoto, 2004)
円錐形の山は、古代人が聖山として信仰を寄せた神奈備山の特徴です。
この山に、神々が降り立つと信じられてきました。
御影山の山頂には、国常立尊(クニトコダチノミコト)が 鎮座すると言われており、現在でも途中までしか行けないご禁足の山です。
下の地図での13番の国常立命の磐座までしか行けません。
出雲大神宮HPより転載
境内に立ててある立札。
大八洲国(おおやしまのくに)とは日本の異称のことで、国祖(くにのみおや)とは国の基礎を作った人、または国を作った人の意味で、これは国常立命(くにとこだちのみこと)のことを表します。
皇祖とは、天皇の祖先の意味なので、一般的には天照大神または神武天皇のことを示しますが、ここでは崇神天皇のことを示しているのかもしれません。いずれにしても、それより1万年以前から、この御神体の御影山が神奈備山として崇敬されていたということでしょう。そして、ここで、出雲姫が久しく奉仕していた。出雲姫は亡くなった後、美穂津姫という名前を贈られたという意味のことが書いてあります。
美穂津姫は、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)の娘で、国譲りの際に大国主の妻となったそうです。つまり、天孫系と出雲系を結ぶための結婚ですね。
美穂津姫は、生前はこの地で国常立命を祀り、この地で亡くなったようです。
一説によると、この御影山に葬られたとどこかで読んだような・・・・。
また、出雲大神宮の社伝には
『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。
とありますから、その後は、山の麓で大国主と美穂津姫が祀られていたのしょうが、奈良時代になって、大国主だけを杵築(現在の出雲大社)に移して祀るようになったとありますから、それまでは、この出雲大神宮だけが大国主と美穂津姫を祀っている神社だったのです。
島根県の出雲大社は、明治時代になるまでは、杵築大社と呼ばれていたので、それまで出雲神社といえば、ここ亀岡の出雲大神宮だけを指していたようです。
ここが、元出雲と呼ばれる所以です。
さて、この立て看板を過ぎて鳥居を潜り、森の中に足を踏み入れます。
すぐ目の前に現れるのがこの巨石。
春日社。
大国主に国譲りを迫って成功させた武神、建御雷神(タケミカヅチノカミ)を祀る巨石です。
また、天児屋命(アメノコヤネノミコト)もここの御祭神です。
天児屋命は、建御雷神の娘婿です。
撮影:Serena
さらに奥にいくと、巨石が現れます。
この写真以降、掲載する写真は、撮影者や転載元が記載されていないものはすべて、A.Oさんが撮影されたものです。
出雲大神宮の御神体である磐座です。
誰もが、おお!と圧倒されるような気を放っていました。
磐座と会話中
この右横には古墳があります。
5世紀から6世紀くらいのもので、誰のものかははっきりしないようです。
さらに右手に登っていくと、清涼なる滝が現れます。
御影の滝です。
撮影:Serena
この滝は、祈るたびに光によって、水の色が少しずつ変わる不思議な滝です。
さらに登っていくと、上社があります。
上社のご祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と櫛稲田姫(クシイナダヒメノミコト)
記紀によれば、大国主命は、戔嗚尊の子、また5世あるいは6世の孫であると記されています。
ここから先は、社務所で受付をしてタスキをかけてから進みます。
山道は綺麗に整備されて歩きやすくなっています。
緩やかな坂道を10分くらい登り続けます。
この鳥居を潜ってから、とても心地よい気に包まれます。
思わず、こんな風に腕を広げてそのエネルギーを全身に受けたくなります。
とうとう、御影山の磐座群に到着しました。
ここから、森の中に散在して鎮座している磐座群を少し見ることができます。
全体的にどういう配置なのかは見ることができません。
磐座がいくつくらいあるかもわかりませんが、これが国常立命の磐座群です。
実際、ここは境内で最もパワーが強い場所です。
手を差し出すと、じんじんするくらいです。
参加者の方々もそのパワーを感じたようです。
そして、みなさん、各々、神妙に祈っていらっしゃいました。
ここから先へは進むことはできません。
神聖不可侵な神だけの聖なる領域となります。
みんなで山を降り、途中で崇神天皇を祀る社に立ち寄りました。
崇神天皇は、この神社を再興された方だそうです。
崇神天皇は、実在した可能性のある最初の天皇です。
在位期間は、紀元前97年ー30年くらいらしいです。
その在位中に、出雲大神宮が再興されたということは、それよりはるか以前からここは存在していたということですね。
社伝によれば少なくとも1万年以上も前だそうです。縄文時代ですね。
出雲大神宮で最も印象深かったのは、境内の気がとても濃厚なのに優しく、お煎餅を売るおばさんを始め、宮司さん、神官さんなどみなさんも、その気を受けているせいか、活き活きとされていてお元気だったこと、何よりも心の暖かい方ばかりだったことです。
さらに、古代から変わらない景色だろう森の姿が印象的でした。
森に生えている植物がとても元気で、歩道の傍に置いてある様々な石は、今にも動き出しそうなそんな活き活きとしたエネルギーに満ちた不思議な場所でした。
古代のエネルギーがそのまま守られている特別な場所だと思いました。
ここの場所を好きにならない人はいないんじゃないかなと感じたほどです。
さて、次回はいよいよ夏至の日のイベント記事の最終回です。
最後は、廣峰神社に行きました。
次の記事を楽しみに待っていてください。