せれなです。
今日は、四万十でも木枯らしが吹き始め、気温が下がり始めました。
ようやく冬が来そうな雰囲気になってきました。
家の前の山も冬らしくなってきました。
9月の四万十でのイベントに参加者が植えてくれた桑の木も、葉を完全に落としました。
午後の個人セッションが終わった後、畑に夕食の食材をとりにいきました。
観賞用に植えた菜の花が、もう黄色い花をつけて、さびしい畑に彩を与えてくれています。
ここの畑からにんじんを間引いて、これはサラダに。
こっちの畑は大根がいい感じで育っていたので、
一本抜いて、これは煮物に。葉っぱは、じゃこ炒めにしました。
食材を畑からとって来れるのは、素晴らしいです。
取れたてのベビーキャロットは泥を落としてそのまま食べますが、甘さにびっくり。エネルギーの高さにびっくり!
大根は、包丁で切るとわかるのですが、ふわっとやわらかくてみずみずしいです。
人参も大根も、種を蒔いて放置しておいただけなのに、ここまで育っていることに感激。(人参と大根の種を蒔いたのは、実は私ではありません・・・)
ここは、色々な方から様々な物を毎日のようにいただきます。
今日は、まず愛媛の『紅まどんな』というみかんをいただきました。
いい物だと一個1000円するという高級みかんらしいです。
見た目はオレンジ。味は、まるでゼリーを食べているようでした!
haruさんは和歌山出身で、みかんといえば、和歌山!という気概があったようですが、スーパーで安価に売られている愛媛みかんを食べたとき、『すみませんでした』と素直に謝ったそうです。やはり、愛媛みかんは美味しいです。
それから、林業をしている方から、薪(たきぎ)をいただきました。
この方の性格がとても表れていますね。きっと、とても几帳面な方なのでしょう。これは炊き付け用にもってきてくれました。
そして、同じ方から貴重なこんなものもいただきました。
これは、松です。
檜や杉は、油分が多いので、乾燥させなくてもすぐに燃えるのですが、その分、あっという間に燃え尽きてしまいます。
対して、松は松明として使われていたように、ゆっくり燃えるので火の持ちがいいそうです。
でも、どんな松でもいいわけではないそうです。
いただいた松は、樹齢200年を超える松の枝打ちをしたものを、25年ほど保管していたそうです。その松の枝の部分を、使いやすいように削いで持ってきてくれました。
火で難儀しているということを聞いて、すぐに作業して持ってきてくれたとか。
本当にありがたいです。
四万十に来てから、人の優しさに毎日のように触れるのですが、なぜ労力を惜しまず、みんなこんなに良くしてくれるのだろうと不思議に思っていました。
でも、ここは純粋な人が多いということが、最近わかってきました。
よそからやってきた移住者たちが困っていることがあれば助けてあげたいと思うだけなのです。放っておくことの方が心苦しいのでしょう。
困っていることがあれば何でも言えよ!と声をかけてくれます。
私達は、なかなかそれに対してお返しができないでいるのですが、そういうものなど鼻から期待していないようです。
人は、ただピュアに助けたいから助ける。それに対して感謝して、いつか自分が助けられることがあれば、それを誰かにしてあげる。
それだけでいいのだと思います。
私は、この田舎では無力で、お世話になりっぱなしですが、それでも私が来るのを首を長くして待っていてくれる人たちがいます。
四万十に戻ったら、その人たちに会って、話をして笑って過ごすのですが、それ以上の何も期待されないことへの驚きと喜びがあります。
人の繋がりは本来こうでいいのではないかと思う日々です。
今の暮らしは、人の好意の上に成り立っていることを忘れないように、感謝感謝の毎日です。
それでは、松とそれを持ってきてくれた方に感謝しつつ、薪でお風呂を沸かして、ゆっくりじっくり暖まりたいと思います。
みなさまも、今夜は暖かくしてお過ごしください。