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この星が楽園に戻る日を夢見て

東京から芦屋へ

芦屋に戻って来ました

 3日間の東京滞在中は、12月とは思えないほど暖かく晴天に恵まれました。

 

 昨日、娘の部屋から西側の景色を見ると、綺麗な夕焼けの中に富士山が見えていました。

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横浜に住んでいた時、この時期になると、家からも同じように富士山が見えていました。空気が澄んでくる晩秋と冬にしか見ることができない景色です。

 

 

この遠くにかすかに見える景色が貴重なほど、東京の都心は自然の景色が見えません。

 

 

仕事が休みの娘に誘われて、地元の神社に行ってきました。

娘は、毎月変わるここの御朱印を集めているそうです。

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今月は、クリスマスバージョン。

神社なのにクリスマス?この柔軟さが日本なのでしょうね。

 

 

街の中にある神社ですが、ここだけ別空間のようです。都会でも、神社には自然が残っています。

 

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熊野神社

参拝をすると、美しい女神様が現れてくれました。

お洒落な場所に似合う雰囲気の方でした。

(写真に写っている女性は、娘でも女神様でもありません)

 

 

 

手水舎には、懐紙が置いてあります。

月替わりの御朱印といい、懐紙といい、女性に受ける心配りです。

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この近くにある古桑庵という一軒家の和カフェに行きました。

ここも、都会の喧騒とは無縁の雰囲気です。

 

古桑庵の入り口

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中庭

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都会の喧騒から離れたのもつかの間、

また、週末の人混みをかき分けるように、駅へと向かいました。

 

でも、最近は、新幹線、飛行機、混雑した電車やバスに乗っていても、病人でいっぱいの病院の待合室にいても、ただ必要だからそこにいるだけ、あるいは、必要とされるから行くだけ、そんな感覚です。

 

そこには、嫌だとか、嬉しいとかそういう感情はありません。

全てにおいて淡々としているのです。

何をしていても、何を食べていても、どこか夢の中の出来事のように、臨場感があまりないのです。

 

何かが欲しいとか、何かをしたいとかもなく、必要だと思われることをやっているという感覚です。

完全ではありませんが、自我がどんどん消えて行っているせいなのかも知れません。

 

例えば、眠りにつくときに、翌朝、目が醒めることがもう永遠になくて別にも構わないのです。目が覚めたらそれでいいし、その日すべきことをやるだけなのです。

 

だげど、辛いわけでも無感情なわけでもなく、それなりに楽しみながらやっているのです。そこに極端なものがないだけです。強いて言えば、何をしていても、静かで平坦な喜びに近い感情がいつも横たわっているという感じです。

 

こういうことは、かなり前から少しずつ始まり、最近になって顕著になって来たみたいです。自分の存在感のなさは、もしかしたら、自分の意識レベルがこの世界のものと合わなくなって来たからかもしれません。

 

娘に海外旅行に誘われるのですが、昔はあんなに旅好きだったのに、今は何処かに行きたいとは思わなくなり、うなずけないのですが、本当に何処にも行きたい場所はないのだろうかと自問すると、地球ではない場所に、本当の自分の居場所がある気がして、そこには行きたいと思っているようです。

 

いつかそこに帰るまで、ここですべきことをして私は生きていくのでしょう。

そして、そんな日々の中で、もっと心を磨きつつ、地球やそこで暮らす全ての生き物や人の役に少しでも立てることがあれば、これから生きていく力と喜びになるでしょう。だから私は、ワークショップや個人セッションをしているのだと思います。

 

明日も個人セッションの予約が入っています。

また、もう一ついい出会いが増えることが楽しみです。

 

それではおやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

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