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この星が楽園に戻る日を夢見て

六甲山の散歩

今日は曇り空でしたが、やっぱり暖かい一日でした。午後になって、ふと思い立ち、相棒のダフオと山へ散歩にでかけました。

 

ダフオは今年8歳になります。

家族に堕腐男というひどい当て字をされてしまったり、アホオと呼ばれたりするくらい、脱走、逃亡、家中トイレ化、コード食いちぎり、盗み食い、ゴミ箱漁りなどを繰り返してきましたが、今ではどうしたことかすっかり名犬なみに賢くなりました。

 

しかし、ダッフィーというかわいい本名があるのですが、なぜかいまだにダフオと呼ばれています。彼の一番の楽しみは、私と山に行くことです。

 

というわけで、今日は、ダフオと私の散歩コースをご案内します。

 

 

 

まず、家の裏に出ると、早速このような急な坂道が待っています。

ここを上って緑の屋根の家を右折します。

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右折すると真正面に山が見えてきます。鷹尾山(城山)という山で、戦国時代に山頂に山城があったそうです。

城山の山頂まで散歩することもありますが、今日は、その奥の六甲山の登山道に向かいます。

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まっすぐ進むと、中学校にぶつかるので、ここをまた右折します。

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すぐに高座橋が出てくるので、それを渡って、左折します。

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このあたりが住宅街最北端。この急な坂道をひたすら登ります。

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これが最後の家ですが、ここは座禅会をしているようでいつも案内が出ています。

庭に竹林があるので、山や竹林に向かって座るのでしょうか。ちょっと面白そう。

 

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ここからは民家はありません。携帯の電波も一切届かなくなります。響くのは、道沿いの川の音だけです。

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ここからは森の中の道をひたすら歩きますが、一キロもないくらいの距離です。

 

水音を聞きながら、ここを一人(+一匹)で歩いていると、いつのまにか瞑想状態になります。頭頂のチャクラよりさらに上の辺りがじりじりとして、ハートに意識があることに気がつきます。

 

何も考えず、ただ水音を聴いて、森の木々や紅葉の美しさに心を向けて歩いていると、自分の体が消え、森に溶け込んでいるような気がしてきます。

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誰も通らない道をまっすぐ歩いていくと、とつぜん旅館と茶屋に遭遇します。

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この赤い橋を渡ったところに、大悲閣という名前の旅館があります。

 

こんな寂しいところにひっそりとある旅館に誰か泊まる人がいるのだろうとかといつも思うのですが、山の中という利点を生かして、音楽合宿などに利用されているようです。

 

私たちは、まっすぐ茶屋の方向に進みます。

滝の茶屋を過ぎて、反対側から撮った写真。

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さらに奥へ行くと、二軒目の茶屋があります。
何度も通っていますが、茶屋に入ったことはありません。

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この茶屋も通り過ぎると、護摩堂が見えます。

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この手前にある旅館の名前が、なぜそんな悲しい名前なのだろうと思っていたのですが、この護摩堂と何か関係あるのでしょうか。

(観世音菩薩像を祀ってあるお堂(観音堂)のことを大悲閣というそうです)

 

 

名前の謎といえば、護摩堂の手前にあるこの大明神の名前もなんとかした方がいいような気がするのは私だけでしょうか。

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護摩堂のすぐ横にあるのが、高座の滝(こうざのたき)です。

昔は、ここで修験者が修行をしたそうです。

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写真ではよくわかりませんが、この滝の上にもうひとつ滝があり、二段になっていることから夫婦滝といわれているそうです。

 

 

この滝を過ぎたら、本格的な登山道の始まりです。

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登山道に入り、数歩で高座の滝を見下ろすこんな位置まで登ります。

 

 

私たちはいつも果敢にも、岩場の道を上がっていきます。

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このあたりはロックガーデンと呼ばれているのですが、本当に険しい岩場です。

でも、ダッフィーは子犬のときから来ているので、どんな険しい岩でもひょいひょい登っていきます。私もワンピースでがんがん上がります。登山者たちと遭遇するとちょっと怪訝な顔をされます。

 

 

ロックガーデンからの眺めです。

芦屋の町の向こうに大阪湾が見えます。

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高座の滝のさらに上流の川で水を飲むダッフィー

彼はここの水が大好きです。

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私たちはこれ以上は登りません(これより奥は、この軽装では無理です)

 

 

山の上に美しい秋の空が広がっていました。

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さて、山を降りることにします。

 

降りていて、この看板に(今更)気がつきました。

 ここは、国立公園だったのですね。

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私が住んでいるところは、六甲山系の南斜面に広がる住宅街で、山が近いので、いつでも六甲山を散策できるのですが、私が六甲山麓に住むことになったのも、過去世からの縁があると思っています。

 

私は過去生で、神功皇后(仲哀天皇の皇后)に仕えていました。

 

福岡の実家は香椎宮のすぐ近くにあり、そこにあった橿日宮(かしいのみや)という行宮に過去生の私もいたのですが、神功皇后の三韓征伐が終わり、その地を発って都へ引き返す途中で、仲哀天皇の皇子たちと戦になり、その皇子たちの甲を六つ埋めたので六甲山(むかつやま)と呼ばれていたとか(他にも諸説あり)。

 

また、その戦いに勝ち難波の港に進んでいたとき、船がくるくる回って動かなくなり、兵庫の港(西宮という説あり)に立ち寄り、ご神意を伺うと、「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」とのことだったので、神功皇后は広田の地に天照大神の荒魂を祀られ、これが廣田神社の創建であるといわれています。

 

当時の廣田神社は、今の場所ではなく、六甲山麓にあったようです。

六甲山全体が廣田神社の社領で、私が住んでいる場所も廣田神社の社領でした。

過去生の私も、神功皇后とともにこの地に降り立ち、廣田神社の創建の経緯を見ていたのかもしれません。

かつて私が目にしただろうこの地の様子はすっかり変わってしまっただろうけど、山に入ればあの頃と同じ森と川の姿が残っている気がします。

 

さて、芦屋でのんびりできるのも、今日が最後です。

明日からはまた東京に行ってきます。

 

今日は、私(とダフオ)の散歩にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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