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この星が楽園に戻る日を夢見て

本当の豊かさ

羽田空港に来ています。

今日午後の飛行機なのですか、3時間も早く着いてしまいました。

慌ただしいのは苦手だし、羽田は時間を潰すのに最適な場所がたくさんあるので、早めに行こうとは思っていましたが、ちょっと早すぎました(笑)

 

考えてみると、私はティーンエイジャーの頃、空港が好きで好きで、暇さえあれば空港に来て、屋上から飛行機が飛び立つのを眺めていました。

そして、初めてのアルバイトも空港でした。

 

次々と飛び立つ飛行機を見ていると、私も何処か遠くへ、いつかは飛び立てる気がしていたのです。福岡の空港は街中にあり、私が住んでいた家は空港から近かったので、離陸したばかりの飛行機のエンジン音を聞くだけで、どの機種かまでわかっていました。それくらい飛行機で行ける世界への憧れが強かったのですね。

 

外国に飛び立つことを夢見ていた私が、その夢を叶えて、気がつくと少なくとも15カ国は訪れたでしょうか。そのうち、2カ国には住むこともできました。

 

でも今は、飛行機があまり好きではありません(笑)

あれほど、好きで憧れた飛行機を好きでなくなる時が来るなんて、あの頃の私には想像もつかなかったでしょうね。

 

人は変わるものです。

 

今回は、5日間の東京でしたが、かつてこの街に憧れ、就職をして、この地で結婚して、子供を産み育て、家まで買って暮らしていたのに、数年ぶりに訪れても何の感慨も郷愁も浮かびませんでした。

 

ただただ電車を乗り継ぎ、階段を昇り降りして、ひたすら歩いていた気がします。

一日に1万5000歩ほど歩いていました。

 

芦屋はともかく、四万十ではどこに行くにも車なので歩くことがあまりありません。

健康には東京の方がいいのかもしれませんが、ここはどこを歩いても見渡す限り人工物しかありません。

 

そんな街中にいると、ふと、四万十のあの静かな朝に響く鳥の声や、滝の水音がなつかしくなるのです。薪の燃える匂いが懐かしくなります。

 

今回、四万十から来た若い子を案内したのですが、その子が東京に着いた時、車窓から見える景色を見て、『家がひしめいていて地面が見えない、木がない』と言っていました。

『どこに行っても食べ物屋の匂いがしてくるからお腹が空く』とも(笑)

森の匂いが立ち込める山間で生まれ育つと、街の匂いは美味しい匂いでいっぱいなのでしょうか。

 

東京では、行き交う男女のお洒落さに目が行きます。

でも、一目見て、あのカバンはどこそこの、あのネクタイは、あのストールは、あの靴、あの時計はと、ある女性などは身につけている全ての物のブランドがわかってしまうくらいでした。

 

電車の中でさえ、ひっきりなしにテレビに広告が流れ、電車の中では、こうして高いブランドや流行りのアイテムを身につけている人自身が広告塔になっています。

 

それを買うために、どれくらい支出するのだろう。そのためにどれくらい働くのだろう。

 

私は、通勤電車が苦手で、ある時、もう通勤が伴う仕事は絶対にしないと決断しました。高給を得ていた仕事をその月のうちに辞め、歩いて通えるカフェでアルバイトを始めました。収入は4分の1になり、贅沢なものは買えなくなったけど、あの時の決断と行動が、今の私を作っているのだと思います。

 

10代の私は、外の世界に出ればそこに自分を満たしてくれる何かがあると信じていました。東京、台北、パリ、横浜。でも、私を本当に満たしてくれたのは、そこで受けた親切、人の思いやりでした。目を閉じれば、旅先や住んだ場所の美しい景色が浮かびます。そして、懐かしい人たちの笑顔が浮かびます。

 

いくら高い物を身につけても、本当の意味で心を満たしてはくれないということが、今はよくわかるのです。でも、子供が書いてくれたママの絵は捨てることができません。友人が編んでくれた靴下や縫ってくれた服、手書きのカードなどは私の宝物です。

 

今回、退院したばかりの叔母の家を訪れました。

手術はしたけれど、もう手の施しようがなく、そのまま何もせずに閉じたということで、もうあと何年も生きられないだろうと覚悟をしていました。

 

でも、体力が弱り、とても片付けられないと。

叔母の家の二階を見せてもらいましたが、2つの部屋にびっしりと物が詰まっていました。とてもお洒落な叔母で、持ち物も多く、せっかく買ったものだからと捨てることもできない性格です。もう着ることもないだろうから、要るものがあったら持って行ってと言われましたが、何ももらいませんでした。

 

人はどんなに好きなものも高価な物も、死後の世界に持っていくことはできないのです。

 

そんなことを考えさせられていたおり、娘に誘われて江東区の清澄白河を訪れました。時代劇などでよく聞く、深川という場所です。

今も下町情緒溢れる町です。

 

 

ここに、深川江戸資料館があり、江戸時代の下町が再現してあります。

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ここでは、解説のボランティアの方から、江戸の町の仕組や暮らしについて詳しく説明をしてもらいました

 

特に、長屋の人の暮らしには感銘を受けました。

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これは宿屋

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 これは、長屋ではなく、小さな商家の台所

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 長屋の裏側

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 時代劇を観て、私が思っていたより長屋の部屋はずっと狭い部屋で、ワンルームの娘の部屋の方がまだずっと良かったのです(笑)

 

押入れもトイレも風呂もなく、もちろん靴箱もクローゼットも納戸も箪笥も食器棚もありません。畳もない板の間で、入居後に自分で畳を入れないといけないので、貧しい人は板の間にムシロを敷きます。何人住んでも、一部屋で暮らさないといけません。昼は布団をたたみ、部屋の隅に重ねて、衝立てで隠します。もっと貧しいと衝立ても布団もありません

 

着物は、夏は洗い替えに2枚あり、秋になるとそれ2枚を合わせて縫い、もっと寒くなると、その間に綿を入れます。また夏になると、バラバラにし、擦り切れた襟や袖はお洒落な当て布を買ってきて補正します。

着物は男女兼用の為、柄は縞模様。元々は男性用に仕立ててあるので、女性が着るときはおはしょりを折って丈を合わせていました。

 

もう着られないくらいまでになると、バラバラにし、いいとこは当て布用に布屋に売り、別の箇所はオムツにし、それでも使えなくなると雑巾にし、さらにもう繊維がバラけるほどになると、最後に台所のかまどで燃やします。

 

その灰を買いに来る業者がいて、灰は商品としてリサイクルされます。

長屋の住人も、かまどの灰で野菜のアク抜きをしたり、薄めて洗濯に使います。

そうやって、服はとことん使い尽くされ、何も残らなくなります。

 

長屋にはゴミ捨て場がありますが、当時は生ゴミが出ることは皆無で、とことん利用して使えなくなったものは各家庭のかまどで灰にされるので、ここに捨てられるのは割れた陶器など燃えないものだけですが、これも業者が買いに来ます。

集められた陶器の破片は、東京湾などの埋め立てに利用されていたそうです。

 

長屋には共同トイレがありますが、その排泄物も定期的にお百姓さんが買いに来て持っていき、肥料にされていました。

 

ゴミや排泄物の売上金は、長屋の治安を守るために夜になると入り口の木戸を閉める人の賃金や、時を知らせる鐘を打つ人の賃金に当てられていました。

パーマカルチャーの先駆者は、実は日本にいて、それに則っ た完璧にエコでオーガニックな無駄のない暮らしが数百年前の日本にあったのです。

 

ゴミの出ない暮らし、ゴミのない町、国。

話には聞いていましたが、詳しく教えてもらい、深い感動に包まれました。

 

『すごいとは思うけど、私はその暮らしをしたいと思わないわ』と、娘がつぶやきました(笑)当然、現代社会に生きる私たちが同じ暮らしができるとは思えません。

でも、そのエコでリサイクルな社会システムをもう一度取り戻したいと、私は思いました。

 

私は、自分がこの世界を旅立つ時には、長屋の住人たちの様に、身の回りにほとんど物がなく、その代わり、家族や友たちと交わしたたくさんの思い出と愛に感謝しながら、その想いだけを携えて逝ける様な生き方を、これからしていきたいと思いました。

 

羽田空港に至っても、贅沢で多様な物や食べ物を売る店がひしめき合っています。便利さと引き換えに失ってはいけないものが何なのか、改めて心に刻んだ5日間でした。

 

さて、私は私らしくいられる場所に戻ることにします。

しばし、苦手な(笑)飛行機の客人となって来ます。

 

 

 

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